新しいモノを作れると考える事は奢りの頂点である。(自営業34歳)
自戒に近い感覚で文章を打つ。
己が何者であるか知る事が毎日を生きる最重要であると思う日が増えました、
基本『何者で』あるかと考える事すら奢りで愚の骨頂である。と思う。
色々な自分を発信するツールが増え、情報はコントロールされているとは知ってか知らずか乗りこなしていると勘違いの螺旋に落ちる。
何かにならなければ椅子に座れないような世界が来ている、
モノや情報が溢れ『新しい』と言う名前の模造や不良品が溢れる。
その裏側には個人の正義が強く聳える。
正義の在り方は不安定で、力の行き先が跳ね返ればナイフを握るような危険を孕む。
正しい事を言う事は誰かを傷つける事。
誰かのレールやルール、ガイドラインに添った言葉に操られる。
秩序を守る事に笑顔や安心があってその中で優しさが生まれるのもわかる。
詰まる所レールの行き先が不明で先頭に迷いを生じている。
わけのわからん本を出版社という巨大な組織が容認したりするから世界に?が生まれる。
それを煽るメディアは巨大な正義に守られている。
感性等という終わった言葉で片付けたり、映画の見過ぎでドラマティックに逃げる事。
世が現実ではなく非現実に価値を見いだし過ぎだ。
自分の知識不足に袋をかぶせ蓋をして全てを無視して続ける。
世の中に新しい物等、ほとんど無い。
生きるのに必要な物はすでに足りている。
一つのコンテンツがひたすらに強くなり別の次元の何かと出会い、これまで満足のレベルに至らなかった物がそのレベルに達しようやくニーズに沿う。
これが『新しい』の正体だと考える。(発明や発見、宇宙やミクロの分野は忘れる。)
セレンディピティ論に近い物だと捉えています。
とにかくで来る事を、やりたい事を文句言わずにひたすら頑張りましょうという事、
現実に目を向けて一つ一つを埋めていく。
それしかないのに努力から現実から自分から逃げて楽しようとしてるよね。
という自戒。
何者かにならずに自分を磨く事をみんながしたら世界は輝く。
というこんなを書いている自分にも疑問ありありです。
