父は僕が14歳の時に他界しました、悲しいというよりはめまぐるしく変わる生活と母の毎日を目で追うのに精一杯だったような記憶が強いです。
僕は新太郎という名前を父にいただきました、新しい人生の一歩を僕に託したそうです。
僕が29歳の時に自分にも子供が生まれました。
14歳から29歳まではあまり父を意識する事無く母にかけた苦労に対し憎しみにも近い感情があったかと思います。
自分が成人し大人の世界を少しずつ知りながらその憎しみは強くなったように感じます。
29歳になった僕は息子が生まれる瞬間に立ち会う事が出来ました、
少し小さく生まれた息子が妻のお腹から生まれ、はじめての産声をあげ、
思っていたよりもずっとずっと小さな息子を抱きかかえた時、父もこういう気持ちになって僕にこの名前を付けたんだなと知りました。
こみ上げた思いは涙になり、喜びになり懺悔になり新たな気持ちが湧きました。
彼がなし得なかった事は僕達が思ってきた以上に悔しい事が沢山あったんではないかと感じました。
誰かへの疑念や悪意は自分の気持ちや行動で変えられるという事があると知っているつもりで生きていますが、僕が母や父に対するどちらかと言えば一般的ではない感情は僕のこれからの行動や心もちで感謝へかえる事は可能だと知りました。
どれだけ大変で人生においてマイナスな側面を持つ出来事があったとしても、次の瞬間、今、自分が幸せを感じていれば振返った全ての出来事のおかげだと思えるのです。
人生は諸行無常です。変わらないものはあって、変えられない事の方が普遍的です。
毎日は過ぎ、手に入る物ばかりではなく、比べれば喪失の方が多いかもしれません、心に怪我をする事もさせてしまう事も全て諸行無常です。
受け入れて行く事、流れて行く事が人生と受け止めています。
写真の話しを突然しますが、写真は光と影をコントロールする事が基本です。
環境に対し何が出来て、どれがベストかを探し行動します。
どんな場合でもハイライト(一番明るい場所、輝かせたい場所)を見つけシャドウ(一番影になっている暗い部分)からの綺麗なグラデーションを作ります。
どんな場合でもです、どんな場合でもハイライトは存在しシャドウは存在します。
物事に光を見いだすこの行為の考え方は僕の心を救ってくれています。
父の存在に光を当て綺麗なグラデーションを感じる事で、僕は父を理解しました。
今日は父の日だね、生まれて来れて嬉しいよ、なんとなく毎日幸せだ。
ほんとありがとね。
