2015年4月14日火曜日

Everything Including Myself is Constantly Changing.

成長と学習と強さと弱さの表裏。
外側から見る世界、内側から見る世界。

自分の成長(暫定)を通し酷く悩み自身に対しどう向き合うべきかの岐路を幾度も経験した。その度に振り返ってみればそれは成長(暫定)だったんだなと無理矢理飲み込んできたような気がする。というよりそうだ。と断定する。
幼少から、少年から青年へ成熟した大人へと変わって行く事を広義で成長と指す。
ゲーム世界のジョブチェンジのようなコレクショナリズムを刺激するような単純な物ではなく、僕個人は、その成長(暫定)の中で確実に何かを失っている事を感じ振り返る。
その喪失感はなんとなくこの場所には何かあったような気がするんだよな。
と駅前の何かの跡地を通りすぎるような、記憶を操作される悲しい映画のエンディングを傍観している自分に違和感を感じそれを思い出そうとすればするほど失った事に気が付き傷とは違う何かから痛みを感じる、そしてそこに辿り着いた自分を否定とは違う冷たいよりも少し生温い感情で見る。その瞬間に同じだけど違う道を歩いていたような自分が生まれる錯覚(暫定)を起こす。
思い出の掘り起こしや記憶力とは違う何か。
大人になる事=成長なら、それは学ぶの延長上にある物なんでしょうか?
学びの先にあるものは出来る事を知り、出来ない事を証明する、或る種の『諦め』それに
辿り着くことに見えてしまっています。
成功体験、快楽により人は『慣れ』、しがみついても無くなってしまう辛さから『逃げ』自分を守るため、明日へ進む為『忘れ』る。
喪失から得るもので強くなっていく人間の仕組みは弱さを隠す為の強さの鎧を身につける事。失った物の価値を忘れるように進化したそれは、喪失の部分知った時、鎧を身に着けた自分を鏡で見る事になる、その姿を美しく変える事に価値を見いだす。

強いとは弱いと同義語。

逆『裸の王様』論。

弱いと強いは同義語。

自分が諦めて進んできてしまった事をしっかり誰かに伝え報せ譲り助け喪失してしまった『其れ』に意味を持たせ価値を付けて行く事、過去を光らせ今を愛し、自信が光る事で砕けて形を変えても明日を輝かせる事。

今はこれが成長(暫定)と考えている。

という独り言。