2013年6月4日火曜日

無題

何年も前の事です、少し遠い親戚の法事に行った日の忘れられないお坊さんのお話を聞いた日のお話。
結婚して、子供が出来て、いくつかの別れを経て、何となく親戚付き合いや、大人のルールが少しずつわかってきたかなぁと感じるようになったのもほんとに最近で、当時は疑問ばかりが先行して、大人って。。と、とてもオーソドックスな思春期を過ごしていたと思います。
その日はとても暑く親戚のおじさん達のワイシャツもほとんど半袖でもっともっと昔の怖いおじさんというより少しほっそりした腕に見えたかな。

緑がとても鮮やかだった、県道から入る細い道はじりじり暑く、その緑に救われた。

親戚の家は同じ敷地に息子夫婦が住んでいる新築の一軒家とおじいちゃん達の旧家がある、その日は旧家での法事、縁側には季節感のない黒い靴が並ぶ。

お坊さん到着まであと少し、誰が何所に座る、誰々がいない、お茶菓子が無い、座布団が無い、あー暑い、あー足が痛い、たしか坊さんは息子が来るぞ、いい車隠してスクーターで来るぞ、と朝のホームルーム前の高校生のような雰囲気。

お経中も同じようなのが小声で聞こえてきます、ちょっと変わったのはお昼ご飯の話しくらい。法話をするお坊さんとしないお坊さんがいますね、この日は最後に少しだけお話。
みんなは7割お昼の話し、昔の人は亡くなった後、極楽浄土へ行く為に生きてるうちから出来るだけ良いことをして『徳』をためる善行を教えながら生きて来た。

見た事も無い物を信じていたんだろうか、たぶん信じてはいなかったと思うんだ、だけどそやって秩序を守り、人に優しくしていたんだと思う。

今の世の中に溢れるのは物だけではなく、自分勝手なていのいい解釈や考え方、表現も溢れている、現代病で片付けたり、優しく敬遠したり。

昔の人はそれを全部含めて、受け入れて死んだらまた幸せになれるから頑張ろうって言ってたんだ、今だとポジティブシンキングとかってかっこつけた自己啓発本渡されちゃいそうだけど。
悪い人は沢山居たでしょうね、でも良い人はすごく良い人だったんじゃないかな、心穏やかに幸せを感じれたと思うんだ、その日の天気はそれを連想させるとても素敵な空だった。僕は法事なんてつまらない、母ちゃんや父ちゃんのおまけだ、ずっとそう思っていたけど、その日そうじゃなくなったんだな。お坊さんに会いたくなった。

周りのおじさん達は、その日まで色々な事をするんだよね、はがきで出欠をとったり、お礼を用意したり、家を掃除したり、床屋に行ったり、おい!お前も行ってこいよと奥さんに美容院をすすめたり。もっとちゃんとこの話し聞けよ。と思った。

でもこの人たちはずっとこれを聞いてきたんだな、もしかしたらこの日も『徳』をためるためにみんなをもてなし故人を思い平時を装っていたのかもしれない。
大人は僕の知らない事を沢山知っていたんだ、そしてもっと沢山を知る必要もあるんだろう。

僕もあと20数年後、お坊さんのスクーターをそういう風にいじれる大人のジョークを言えるようになっているんだろうか。