2016年1月11日月曜日

なんだかなぁ。

少し経ったので一言だけ。

どれだけ美化しても悪い事は悪いよね。と思います。

なんとなく昔は漫画やテレビや友達の影響で不良文化が少しかっこいいかもと思った事はありますし、なんだかそういう風潮もあるような気もする。
けど、不眠不休で子育てしながら赤ん坊がやっと寝て洗濯でもしようと思ったら道路でバイクがゆっくり集団暴走行為をしていたらちょっと許せないし、自分の子供に将来そういうのもありなんて絶対言わないな、と考える様になった。
自分の子供がまたは近しい人がなんだか変な棒で殴られたり洋服ビリビリにされたりしたらやっぱり嫌だ。
こんな事文字にしなくてもわかるけどわからない人が多いんだよね。
どうしてもエネルギーが余ってるとか世の中がなんだとか親がなんだとか学校がなんだとか色々と美化されやすいけど、悪い事は悪いし自分がされてどう思うかは明白。

根本はなんなんだろうと疑問が残る。

例えばバスケの試合に負けてバスケ部めちゃくちゃにしてやろうとか、バッシュ履かないで体育館上がってやろうとか(聞いた事あるな。)もうやだからルール変えてやる!とかって。
基本、思い通りにならない事の決着がつけられない能力の低さ。なんじゃないかなと思う。
イライラの始まりを取り除く為の手段はざっくりは二つ何となく三つ本当は一つ、

ざっくり、
1ルールをおぼえて努力を積みルール内でのイニシアチブを握る。
2それについて考えるのや行動全てをやめる(忘れる)。
何となくもう1つ、
3やっぱりラグビーにする。

でもイライラの始まりを本質的に取り除くには『1』しかないんじゃないかと思う。
能力の高い低いは自分もものすごくコンプレックスがあるし言われ方によっては腹が立ったりしてしまう気持ちもわかる、でも冷静に考えると物事のほとんどは努力によってある一定レベルまでは行けるような世界になっていますね。(努力ありき)

2015年に出会った吟遊詩人の言葉で
『頑張ってる頑張ってると言いながら一度もギターを握らない日がありました。』
という自戒の歌詞がありました。

0→1にしてやっと動き出す事が沢山あります、夢がある、やる気はある、いつも考えている。言うのは簡単。

目から入る情報を見た事があってなんとなく知っているのと本質を理解するのでは雲泥の差があります、出来れば後者になって行きたいものです。

現代の能力の優劣はどうしても貧富の差(精神的な意味も含む)に多少は左右されてしまうようです。
あの職業にはあの大学でその為には。。。。。という流れがあるようで。

ことの発端が貧困(精神的な弱さや想像力の欠如も含む)なら答えは簡単。

無理して贅沢を教えるからひねくれるんだよなぁ。

とスーパー貧乏だった僕は個人的に感じます。

誰かに悪意を向けやつあたりによって頑張っている人が馬鹿を見ない世の中になってほしいです。

『自分で決める。』

事がちゃんと出来ている人が大人だなと感じます。(責任関係や結果込み)

成人式を迎えてから15年経ってこんな風に感じたので記します。